私の父も母も戦争体験者である。しかし今年で64年目・・・・。だんだん戦争を語れる人は少なくなる。私も父や母、そして、祖父、祖母、伯父、伯母、またいろいろな人から戦争体験を聞かされた。本当はここは『聞いた。』と書くところをあえて聞かされたと書いた。理由は、ほとんど戦争体験の話は子供の頃に聞いたので、あまり想像がつかないのである。
小学生のときに「はだしのゲン」のマンガを母が買ってきた。家はマンガは当時一冊もなかった。「母がマンガを買ってきてくれた」って喜んだ記憶もある。しかしいざ読んでみると・・・・・・
その後、戦争体験の話を聞くと、その苦しみがよく伝わってきた。
母は戦中、食べ物が毎日ほとんどなく、芋ばかりだったとか・・・・・
空襲警報が鳴ると一斉に電気に傘を被せて、生きた心地がしなかったとか・・・・・
父は新潟の上越だが、あの長岡空襲の日は80Km以上離れた場所でも遠くのほうで赤々とした空が見えたとか・・・・・
父の知っている話は想像を絶する話が多く、とてもブログでは書き込めませんが・・・・・。
人を人と思っていない時代ですから、今では想像ができません。現代社会で国のために命を落とせる人間がいるでしょうか。いえ違います。昔から国のために命を落とせる人間なんていないんです。逆らえないだけです。
間違った方向に日本は向かっていたのですね。でも気づくのが遅すぎましたね。代償は高かった。国民の中にも大勢、『戦争はやるべきではない』と思った人もいたはずだ。でもこれは=非国民。
神風特攻隊の話を聞いて涙がでないやつがいたらそれこそ人間ではないような気がする。
しかし、一方でこの敗戦は日本にとって、今後ずっと付きまとう。アメリカと日本の関係は・・・・・
高速道路が真っ直ぐでないのも・・・・・(眠気防止ではありません)
原子力発電所の壁はごついのに、天井はごつくないのも・・・・・
まぁでもこれから先も戦争がなければいいのです。私はこれからも戦争未体験者でいたいです。
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