2011年3月28日月曜日

石碑

明治29年に明治三陸地震が起きて、津波は高さ38m、死者2万人以上という災害が起きている。そして昭和8年にも昭和三陸地震が起きて、地震はさほど大きくなかったものの、こちらも津波で8000人以上に死者が・・・。

石碑はあるんです。 
『高き住居は児孫は和楽 想え惨渦の大津波 ここより下に家を建てるな』と・・・伝える事が伝わらない。そしてまた同じことを繰り返す。そして津波で・・・こうならないように石碑が建っているんですが・・・。この石碑というのはあちこちに存在します。三陸は地形がら、農業等が栄えるわけではないので、漁業が盛んになっていった。しかし過去の教訓で、石碑よりも下には家を建てられない。船は下で家は上、大変だからせめて作業小屋くらいは下で・・・そしていつの日か民家が立ち並ぶ・・・。便利さの前に危なさが薄れていってしまうのです。しかしみんな津波の存在も怖さも知っているんです。でも・・・自分たちが生きているときは絶対に津波がくるとは思っていないのです。その無関心さと傲慢さが被害を拡大したとも言えるのです。今回の大震災の8日前には、一年に一度の避難訓練をしています。この3月3日は昭和8年に起きた昭和三陸地震の日なんです。たった一週間前に訓練をしても、みんなの津波に対しての気持ちが低かったのだと思います。しかし、今回の地震は1000年に一度の物凄い規模の地震には変わりがありませんが・・・・。 復興してはいけない 一見、なんてひどいことを言っていると思うでしょうが、あの場所でまた復興してもまたいずれ同じことを繰り返してしまうのです。そのための石碑だったんです。3000tともいわれる今回の大津波の力。建物をこれに耐えられるものは絶対に無理です。防波堤もとてつもない金額を出せば別でしょうが、厳しいです。つまり復興場所を変えるしかないのです。また漁業が盛んになると思います。逆に栄えてもらわないと困ります。作業小屋ならいいです。家は建てられない様に法律で定めましょう。明治も昭和も基準法できる前だったので、今後は!!!

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